振動する世界

カタカタカタカタ…というのは、カトラリーが小刻みに皿のふちに当たる音です。
私が声を発するのと同時に鳴ったドラムロールようなテンポの軽快な音色は、いっそ間抜けですらありました。
周りはこちらを気にしたかもしれないし、あるいは(幸運なことにこうであってほしいのですが)一切気付かずにめいめいの食事にありついていたかもしれません。
というのも、何よりもギョッとしていたのはまさにその揺れるカトラリーを握っている私で、カトラリーの振動に合わせてぶるぶると残像になる自分の腕を、信じられないという風に呆然と眺めていたから周りを見る余裕などなかったのです。
唯一、向かいの女がこちらを見つめている事に気付きましたが、その真顔の底に一体何を思っていたのか私にはてんで検討もつきませんでしたし、その黒い瞳は、ぴしゃりと固く閉じられた分厚い鉄扉のように感じられました。
そんな中どうして楽しく食事など出来ましょうか。
私の問いに対する右隣の留学生の返答も霧のように感じられました。結局私は空気中へ言葉の粒子が散っていく様子をただ眺めていくことしか出来なかったのです。
私は、フォークを力ずくで握りしめて残りのビーフやらサラダやらを黙々と詰め込むことが今出来る精一杯の事だと思いました。

仮にこの出来事を自発振動と身体の共振と呼ぶ事にしますが、この小さな振動がこの日突発的に起きたことだとは非常に考え辛く、以前にも何度か引き起こされていたと考える方が自然です。
しかし、この件について突き詰めれば突き詰めるほど、「本当はこの世界は常に揺れていて、たまたま私の固有振動数が一致した」ような気さえしてきます。

自分のこころが自分の想像以上に脆すぎると気づいた時、いったいどうやって折り合いをつけていけばいいのでしょうか。

これ

辺り構わずふとした瞬間にこれはやってくるので、どうにか何処か知らない住宅街の路地の隅っこにポトンと置き去りにしてしまえないかと、朝から長い散歩に出たりしましたが、どうにもなりませんでした。
今日はすっかり春の陽気で良い散歩日和でしたし、以前雑誌で特集されていたパン屋さんの住所を偶然にも突き止めることが出来ましたので、あながち得をした気分でしたが、矢張りこれは私より僅かに遅いスピードで付いて来て私が立ち止まるとやがて追いつきます。
これとはかれこれ長い付き合いになるのですが、いつまでも付き纏うかと思いきや、暫く見ない日もあります。ただ、これは恐ろしく敏感で目敏いので、時折どうしてこれが付き纏うのかわからないような時にさえ、てくてくとやって来て背後からわたしの脊椎に沿って産毛を逆立てさせるのです。

わたしは、時間をたっぷり使って吟味したり塾考して、生まれてくる小さな綿毛のようなものの感覚を徐々に掴むことをとても愛しています。
無理矢理にわたしの口からものを言わそうとするなんて、印刷中のコピー機の紙をむんずと掴んで引きずり出すようなものなのです。紙は破れ、インクは形を為さず、得るものなどありようもございません。
早く紙を吐き出す機械も御座いましょうが、うちのはそういう訳にはいかないのです。
あんまり無理矢理引き出していると、機械の方さえダメになってしまいそうです。
人々が求めるものは、小さな綿毛の感覚が一体どんなものなのか?というより「綿毛だろうが埃カスだろうがとりあえず出して見せろ」ということなのでしょう。
そして、見せない人間は無能のレッテルを貼られるのです。
無理矢理人のモノを評価する癖に、随分と偉そうに言えるもんだと思いませんか。


もうずっとわたしは意味もなくインクを消費するだけで、その度にコレから逃げ回っているのです。
最早わたしの心臓は紙詰まりを起こして、ぐちゃぐちゃになった紙切れしか生み出せないような気さえしてきます。

紙一面の鮮やかなオレンジ色を、私は無性に悲しく思えるのです。