舞台「マニアック」
大阪の森之宮ピロティホールへ、今年初観劇。
主演は関ジャニ∞のギタリスト、安田章大さん。共演者は古田新太さんをはじめ日本の俳優さんに疎い私でも分かるほどの錚々たる顔ぶれで、チケットを手に入れることができたのは本当に幸運だった。
ストーリーは、古い精神病院へ植木屋の仕事で訪れた主人公アキラと、偶然にも帰郷していた院長の娘メイの出会い、そして院長が隠蔽していた病院の悪行について描かれている青春音楽劇。
2年前、安田さんが演歌歌手を目指す青年として主演した「俺節」という舞台を観てからというもの、すっかり舞台上の安田章大の虜になってしまった私は、今回も1公演だけとはいえ目の当たりにすることが出来たのは本当に僥倖だとおもう。
座長である安田さんの歌唱力が高いことは言わずもがなであるが、特筆したいのはその表現力。何と言ってもドラマティックだ。
人間の感情はここまで自然とあふれ出すものなのだろうか。おさえつけられた感情の苦しみとは、数メートルの距離を伝わって緩やかに人の心を締め上げるものなのだろうか。決して押し付けるようなものでもなく、すっと沁みて侵食してゆく。
一度きりしか聴いたことのない歌を、痛みとともに何度も反芻してしまう。
そんな歌を聴かせてくれる。
実のところ、今回のストーリーはとてつもなくしょうもなく、端的に言うならば不謹慎で破廉恥。色んなパロディが混ざり合って、判ると嬉しいし楽しい。
こんなにはちゃめちゃなストーリーでしっかりと殺陣を組み込んでいるところも、説得力がある様でちぐはぐな様で面白いなと今になって思う。
こういうしょうもなさと独特のシュールさが、舞台ならではの魅力なのだなと感じる。映画のようにリアルなセットやCGがない、狭い、人間だけが本物の世界。
彼らが肌で生み出していく空気と一体になることが出来たとき、人は「面白い」と感じる。本気の気持ちがこもった歌、演技、殺陣、これらが生み出す覇気が、コメディのシニカルさを生んでいるのだろう。
舞台は、1度きりしか見ることが出来ない。たとえ同じ演目のチケットを複数枚取ったとしても、今日の舞台は今日しか見ることは叶わないのだ。
ましてや、当然だが、映画の様に数年後にもう一度…などということは不可能だ。
何が言いたいかというと、自分が作品を見て感じた気持ちは、永久にアップデートされないということ。記憶の中で何度も反芻されて、アコヤガイの中で真珠が長い時間をかけて大きく美しく形成されるように、作品が何物にも代え難いものになっていくということ。
以前、SNSにて”「わからない」という方法”(橋本治著)という本の一節が紹介されていた。著者は、「以前良いと感じたものを今見ても良いと感じるのか、確認する作業をしなければ人の感性は老いてしまう」というような事を述べているが、私はいつか過去という貝殻の中で育ってしまった大きな真珠が本当に真珠なのか、向き合って確認できる日が来るのだろうか。